10/29の詩人の会、少人数でしたが内容の濃いものだったと思います。

いわば、アトリエの詩人の会のありようというものを小さな光明として見出したような気がしたのです。

詩の朗読会はいろいろなところで開催しています。アトリエは他のところに比べれば、狭いところで人数もたくさんは入れません。音響やスポットライトがあるわけでもない。しかし、その生声に浸かれる狭さゆえ、そしてゆっくり話ができる環境ゆえ、詩人たちが詩の周辺について心ゆくまで話を深める事が出来る。

 

今回もそうして小さなお部屋で、食事会をするかのように「詩人の会」は始まりました。

よもやま話をしながら朗読が始まり、朗読が終わればその詩につながった各人の思いや感慨を語り合い、いつしか次の朗読が始まる・・・。

詩とその周辺を含め詩人たちがこのようにゆるりと交流を持てる場は、実は数少ないのではないかと思います。

 

一方で、アトリエはものを作る・ものが生まれる場所でもあります。

詩人の会をきっかけに新たに詩が生まれる、それに付随した形で詩集や同人誌、新たな発表の形式やイベントなどが生まれるような予感がしました。

 

今回参加できずに作品だけ送ってくださった方もあり、私が読ませていただきました。

もっと読み込んでから朗読すればよかった・・・と少し後悔しつつも、読みながらその作品にフレッシュに魅かれていく自分がそれにたじろぎながらも朗読を続けなければならない、という複雑な体験をさせていただきました(笑)。

 

ながくなりましたが、サンキュー皆さん。

次回の詩人の会をお楽しみに。

 

詩人の会、報告。

11月3日木曜日


詩人の会のカレー

カメラを持っていくのを忘れて、これしか写真がないのが残念。。。

しかし、今回は悪戦苦闘しながらもかなり細部にこだわり、かわいいものが仕上がりました。基本のステッチは、ほんとにシンプル。今回は、アップリケも取り入れたので、二つくらいのステッチしか使いませんでした。

はじめの図案とは、必ず違うものができあがるのが、刺繍の良いところ(?)だと思います。

最後にできてくるものは、想像を超えてくる(というとオーバーですか?)というのが、刺繍の醍醐味だと思うのです。できたものを「良いもの」にするためにどうしたら良いか、作りながら考える。・・・そのうちみんな、「手で考える」ようになるのです。

11月13日 日曜日

ボタンづくりWS

11月17日 木曜日

美の地平


「いいもの」というと、どんなものだとは一言では言えない。

上手いとは違う、精巧かどうかも関係ない、時間と手間も問題ではない、誰が作ったかも論外である。

いいものが出来るかどうか、存在するか否かは

結局見る側の意識の問題でもある

永遠にいいもの、万人から評価されるいいもの

そんなものが存在するだろうか

ものの力というのは感受性があって初めて感知される

わかる人とわからない人

それはものと人との同調性であって、ものの力だけではない

内的に(心に)抱えられている貴重なものと、外的にある「いいもの」との合致

共鳴 共振 同調 響き合い

同じ波同士が重なると大きくなるように

内外のものが響きあって感動や愛が生まれる

それが「いいもの」が存在できる条件である

「いいもの」という美は、いたるところに存在する可能性がある

地平には美が形象も様々に立ち並んでいる

それらは共鳴する時を待っている

内的な共鳴体がかなりの自由度を持つと

世界は美で彩られ、天国の様相を呈するに違いない

しかし我々の内的なものは幸か不幸かかなり不自由にできているので

そうそう天国を体験することはかなわない

内的に貴重なものは集合的に同一のものもあるが、たいていは個々人でバラバラなので

美の地平で起こる反応の点滅は個々人の生きざまという一度きりの現象である

11月24日(木)

最近の作品群

4から6才の子の作品。

彼らにぼくから何か提案したり、問い合わせる事はほとんどなくなりました。

そうしようと心がけているからでなく、来る前にやりたい事が決まっている事が多くなり、そうでなくても自分で考えるのが楽しくもあるようです。




左上:デジカメと携帯電話

右上:おにぎり

中左:パトカー

中右:不明

下左:公園に止まる、マイクロバス

下右:宇都宮線

11月29日(火)

トップロープ

昨日は安藤氏にセットしてもらい、トップロープクライミング。

高さ約7mを果敢にトライ。恐怖に負けず、何名か完登しました。

トータルで6、7名はゴールできた模様です。


僕は、鈍る一方。

登る時間を捻出せねば。