詩の朗読とは直接関係ないようですが、自由連想的に書いてます。
アーノルド・ローベルという児童文学作家(?絵描きさんでもあります)が、好きです。
私は、「わかりにくいのは、キライ。しかし、わかりやすすぎては、ツマラナイ」という、少々あまのじゃく的なところがあります。
アーノルドさんの本はいつも、お話しの中に隠されているメッセージのような物、そのものズバリを描いていません。
「おはなし」という乗り物に、カタチにならない理不尽や、無秩序、しかしとても味わい深いものたちを、ふんわり、上手に乗せています。
なんか変、どうもおかしい、ありえない、理屈で考えたらばかばかしい、とさえ思えるようなこと。
しかし読み終わった後は、懐かしい自然にふれたような、何とも緩やかな気分になるのです。なんという、不思議。
思えば、私たちは効率の良い、理にかなったものを日々追い求めていて、「そんな事して、何になるの」と思うような事には否定的です。でも人は機械ではないし、因果関係やナニガシかの理論に従って生きているわけではない。生身であるということは、輪郭のぼやけた、ゆらぎを抱えているものだと思います。
生きることの意味や目的の隙間は、狭いようでとても深くて、そこには一生かけても汲み尽くせないほどのものがはびこっているような気がするのです。
前置きが長くなったようですが、詩を作るわけは、その隙間に生まれたかわいい子たちを引き出して、ホコリをはらって磨くため。
玉のような子が、各人のコトバの中にピンピン飛び跳ねているようです。
詩人の会は、その誕生の喜びを祝うような会です。
この会のため、初めての方々が来てくださいました。
その方達の詩と生は、アトリエで初めて重なり、更なる滋養を隙間の子たちに与えたように感じました。
■千■